野村 忠宏
TADAHIRO NOMURA
Special Interview
奇跡や幸運といったものを基本的には信じない。
そんな野村忠宏さんが、諦めずに前進し続け苦悩を積み重ねた先に見た景色とは。
1996年アトランタオリンピック男子柔道60㎏級。3回戦の舞台で、
オリンピック初出場の21歳の若者が、
窮地に立たされていた。
天理大学四年生の野村忠宏は、1995年世界選手権王者・ロシアのオジェキン選手と相対し、
有効ポイント3つを先行される(※当時のルール)苦しい展開。
スタミナに不安を抱えているオジェキン選手に対して、
後半勝負の戦略を立てていた野村だったが、試合時間残り1分を切ったころには、
そんな悠長な考えは掻き消えていた。
『ダメか・・・』
刻一刻と時計が進む中、日本チームスタッフはもちろん、
観客席からもあきらめの溜め息が漏れ始める。
柔道人生の分かれ道とも言える巨大な壁が、野村の前に立ち塞がった。
前人未踏の柔道オリンピック3連覇を成し遂げた野村忠宏。この間、ケガによる選手生命の危機を幾度も乗り越えている。だが、いくら絶望を味わっても、彼はそれを指して柔道人生の壁とはいわない。
「ケガは避けては通れない。
だから受け入れて
前に進むしかないんです」
野村は、奇跡や幸運といったものを基本的には信じない。アスリートにとって望む結果は、それまでやってきたこと、積み重ねたものからしか導かれない。それが野村の柔道人生の信念だった。だから、アトランタの3回戦のピンチは、ある意味必然だったと彼は振り返る。
「当時の自分の実力は否定しませんが、アトランタの出場も棚ぼたで決まったようなところがあって、どこか浮ついていたというか、柔道家としては甘さが残っていて……」試合の結果は言うまでもなく、大逆転でオジェキン選手を破った野村は、そのまま初出場のアトランタオリンピックで金メダリストに昇り詰めた。あの3回戦の逆転勝ちを奇跡と呼ぶ人は、今も少なくない。野村自身も計り知れない力が働いたように思うこともあった。だがやはり、彼は勝利を掴むだけのものを積み重ねていたのだ。有効3つのリードを許したまま、試合時間残り1分を切ったとき、確かに野村の中に焦りはあった。想像以上に強いオジェキン選手にいいように投げられ、一本負けを防ぐのがやっとの状態。
ところが不思議と、
野村にあきらめの気持ちは
湧かなかった。
幼いころら『体が小さい、大きくならない』ハンデを背負いながらも、強くなりたいと願い、指導者だった父親からは『止めてもいいぞ』と肩を叩かれても、反骨心露わに喰らいつき、彼は戦い続けてきた。
「あきらめの悪さには自信があります」
残り15秒。自分の組手が作れない野村は咄嗟に、脊髄反射とも思える判断で、右の釣り手一本での〈片手背負い〉に入った。試合では一度も使ったことのない技だ。オジェキン選手は一回転し、主審の判定は『技あり』。執念の逆転劇。時計は残り11秒で止まっていた。
では〈片手背負い〉は奇跡の一手だったのか? 違う。〈片手背負い〉は、野村がバイブルにしていた柔道漫画の主人公の得意技であり、練習段階では確かに試していた。それがこの土壇場で発揮されたのだ。野村が対オジェキン戦を、柔道人生最大の壁と呼ぶ理由は何だったのだろうか?「あの試合で負けていたら、僕は次のオリンピックは目指していなかったと思います。別の道を模索していたでしょうね」つまりラスト11秒の逆転劇は、野村にとって大きなターニングポイントであり、オリンピック3連覇のチャンスを掴んだ瞬間でもあったのだ。
あの時が無ければ、今はない・・
野村にとっては正に運命の分かれ道だった。
当時を思い出して、今更ながらヒヤヒヤすることもあったという。
「試合時間は5分。その短い時間に立ち塞がった壁を、
勝利という形で乗り越えて、
僕は柔道家としてひとつ上のステージに上がることができたんです」
あのときを経て成し遂げた、オリンピック3連覇の偉業。
不世出の天才と呼ばれた柔道家・野村忠宏のすべては、
彼らは真の強さを手に入れる。
野村 忠宏
TADAHIRO NOURA
Profile
1974年12月10日生まれ。奈良県出身の柔道家。七段。
祖父は柔道場「豊徳館野村柔道場」館長、父は天理高校柔道部元監督という柔道一家に育つ。19
96年アトランタオリンピック、2000年シド ニーオリンピックで2連覇を達成。2年のブランクを
経てアテネオリンピック代表権を獲得し、2004年アテネオリンピックで柔道史上初、また全競技
を通じてアジア人初となるオリンピック3連覇を達成する。 2013年に弘前大学大学院で医学博士
号を取得。2015年8月29日、全日本実業柔道個人選手権大会を最後に、40歳で現役を引退。2020
東京オリンピックでは聖火リレー公式アンバサダーとして開会式が行われた国立競技場での聖火
ランナーを務める。現在は、自身がプロデュースする柔道教室「野村道場」を開催する等、国内
外にて柔道の普及活動を展開しながら、テレビでのキャスターやコメンテーターとしても活躍。