CROSSOVER BOOK | JULY 2022

心を動かすスポーツ SportsDocument CROSSOVER BOOK002

髙田真希

4年後のビジョン[女子バスケットボール日本代表]

アスリート人生に壁が立ち塞がったならば。それは自分が成長するチャンスが訪れたと言うことだ。

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髙田 真希

MAKI TAKADA

Special Interview


33歳となる今年も、当然のように現役を続行する。
女子バスケットボール、東京オリンピック銀メダリストの髙田真希さん。
彼女を駆り立てる新たなビジョンに迫ります。

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Special Interview MAKI TAKADA

ー 2012年ロンドン五輪への出場権をかけた世界最終予選、対カナダ戦。

その舞台に立つ、センターポジションの髙田真希は自信に満ちあふれてい
た。日本のオリンピック出場はもちろん、本番の決勝トーナメントで戦うこ
とを信じて疑わなかった。

しかし、結果は8点差の敗北。
あれだけの準備をしたにも関わらず、
ダメだった……。


髙田は、冷めやらぬ悔しさと共に、急速にバスケットボールへの意欲を失っ
てしまう。部屋に引きこもり、ベッドの上でぼんやりする日々が続く。
<燃え尽き症候群>。それは、彼女をさらなる悲劇へと連れ去っていった。

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Special Interview MAKI TAKADA

仕事だから、チームに迷惑を掛けられないから・・。そんな義務感のみで練習を再開した髙田は、右足甲の骨折という大ケガを負ってしまう。手術か、温存療法かの選択を迫られた彼女は、開幕を控える国内リーグ戦のことを考え、手術を回避する。だが、回復の兆しが見えないまま、結局髙田は、2012ー2013シーズン、わずか3試合の出場に終わった。しかもその3試合目に、再び右足甲を骨折。

今度こそ、手術は不可避だった。

ロンドン五輪最終予選敗退の余波は、巨大な壁となって、髙田の前に立ちふさがった。

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Special Interview MAKI TAKADA

では、髙田真希は如何にその壁を乗り越え、東京オリンピック銀メダルにたどり着いたのだろうか?きっかけは、皮肉にも二度目の右足甲の骨折にあった。
「あぁ、練習しなくていいんだ。試合に出なくていいんだ」
手術治療の名目で強制的な休養を余儀なくされた時、ふと肩の荷が下りた気がした。これまでずっとバスケットボールと向き合い、目先の試合のために、常に心は張りつめていた。それが一気に解放されたのだ。近しい人たちの言葉にも救われた。リハビリは1年にも及んだが、それは大好きなバスケットボールを、そしてバスケット選手としての自分を見つめ直す、かけがえのない時間となった。

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Special Interview MAKI TAKADA

ある日、それは何かの啓示かのように、
髙田の脳裏に浮かびあがった。

「東京オリンピックで戦う自分を、はっきりとイメージできたんです」
すると同時に、彼女の心がたぎっていく。そのイメージを現実のものにしたい!リハビリの手応えを感じていたこともあり、髙田は完全にバスケットボールへの意欲を取り戻す。それまで疎かにしていた筋力トレーニングに着手するなど、ケガからの回復というよりも、さらなる進化に邁進していったのだ。

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Special Interview MAKI TAKADA

自分がどうなりたいかを定め、その達成のためにすべきことを定め、行動に移す。明確なビジョンの下では、壁は単なる課題でしかない。乗り越えることに、遣り甲斐すら感じることができるのだ。だから彼女は言う。

「悩んでいる時間がもったいない」

女子バスケットボール、東京オリンピック銀メダリスト・髙田真希。
33歳となる今年も、当然のように現役を続行する。
―2024年パリオリンピックの舞台―
新たなビジョンが、彼女のアスリート魂を駆り立てる!

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髙田 真希

MAKI TAKADA

Profile


1989年8月23日生まれ、愛知県出身。
小学5年からバスケットボールを始め、中学までは空手も両立し、全国優勝を果たす。
強豪・桜花学園高(愛知)ではエースとして3冠を達成。
2008年にデンソーアイリスに加入し、ルーキーシーズンから28試合に出場して新人王を獲得。
2009年に日本代表チームに初選出され、2016年リオデジャネイロ五輪ではベスト8進出。
2018年から主将となり、その翌年にアジアカップ4連覇を達成。
2021年の東京五輪では銀メダルを獲得した。
株式会社TRUE HOPEの社長として、競技の普及にも努める。