CROSSOVER BOOK | JUN 2024

心を動かすスポーツ SportsDocument CROSSOVER BOOK020

田中史朗

小さな巨人誕生秘話[ラグビー選手]

アスリート人生に壁が立ち塞がったならば。それは自分が成長するチャンスが訪れたと言うことだ。

CROSSOVER BOOK20

田中 史朗

FUMIAKI TANAKA

Special Interview


ラグビーの精神そのもので、劣等感の壁を乗り越えた田中史朗さん。
挫折から成功へのストーリーに迫ります。

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Special Interview FUMIAKI TANAKA

ニュージーランドのラグビーグラウンドで、
19歳の小柄な日本人少年がうなだれていた。


「今までやってきたことは、
いったい何だったんだろう……」



ラグビーの名門・伏見工業では、
冬の全国大会、通称「花園」でベスト4に進出した。

その後、U-19の日本代表にも選出され、
彼は自分がトップアスリートになりつつあることを自覚していた。
だからこそ、さらに自分自身を高めるため、
大学1年の終わりにラグビー大国・ニュージーランドへ留学。
意気揚々とグラウンドに立った。

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Special Interview fuMIAKI TAANAKA

ところが、同じ年代のニュージーランドの若者たちに、まったく歯が立たない。特に、当時のニュージーランドU-21の代表で、後にオールブラックスの至宝と呼ばれたダン・カーターに至っては、スピード、パワー、イマジネーション、すべてが雲の上の存在。

「何もかもが違いすぎて、
もうあきらめるしかない感じでしたね」


今から20年前、日本のラグビー史にその名を刻むスクラムハーフ、田中史朗の前にラグビー人生最大の壁が立ち塞がった。そもそも田中は、挫折からはい上がった努力の人だ。伏見工業2年生時、「花園」の京都予選で敗退し、全国大会常連の伝統を断ち切った苦い過去。

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Special Interview FUMIAKI TANAKA

田中は心に火がついたかのように覚醒し、誰もマネできないような過酷なトレーニングを自身に課す。その結果が、3年生時の「花園」ベスト4であり、大学1年でのU-19日本代表だった。努力で逆境をねじ伏せる。そんな田中が遠くニュージーランドのグラウンドで、

あきらめの境地に
埋没してしまったのだ。


とはいえ、それで彼がラグビーを捨てなかったことは誰もが承知のこと。大学卒業後は三洋電機、パナソニックなど当時のトップリーグの強豪チームで活躍し、2008年には日本代表初選出も果たしている。だが、世界レベルへの劣等感は抱いたまま。自分にできる範疇の努力で戦い続けた。国際大会では勝利を目指しながらも、どこかで達観していた。「やるだけやって、負けても仕方ない」レベルの違いを受け入れるが余りの悪循環。あのままでは、並みいる日本のグッドプレーヤーの一人で終わっていただろう。

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Special Interview FUMIAKI TANAAKA

では、何が田中の心を変えたのか?それは自身初出場となった、2011年ワールドカップ ニュージーランド大会だった。「(グループリーグ同組の)ニュージーランドやフランスはともかく、トンガとカナダで2勝くらいできるんじゃないかと思ってました」だが、フタを開けてみればトンガに敗れ、カナダとは引き分けに持ち込むのが精いっぱい。1勝もできず、グループリーグで敗退した。

「このままだと、日本ラグビーが終わる」

言い知れぬ焦燥感。田中は、あのときを自戒する。「桜のジャージの重みを感じてなかったんですよ。ハードな練習をしていたつもりでも、実はそれほど厳しいものではなかったんです」すぐに現状打破のために、行動を起こした。

「誰かが海外に出て、世界のラグビーを日本に持ち込まないといけなかったんです」日本ラグビーのために。田中が武者修行の先に選んだのは、19歳で絶望を覚えた地、ニュージーランドだった。背負ったものへの責任感。それがアスリートを強くする。田中が伏見工場時代、覚醒して猛練習に明け暮れたのは、敗北したチームを蘇らせるため。ニュージーランドに単身武者修行に出て、世界最高峰の[スーパーラグビー]で戦ったのも、2011年ワールドカップの大敗から日本ラグビーを救うため。

個を磨くことで、集団を牽引する。
それが田中の出した結論だった。

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Special Interview FUMIAKI TANAKA

ONE for ALL,
ALL for ONE


ラグビーの精神そのもので、劣等感の壁を乗り越えた田中史朗は、
2015年ワールドカップ南アフリカ撃破の『ブライトンの奇跡』
2019年大会のグループリーグ突破ベスト8進出に、代表選手の一員として貢献。

彼はいつしか、
国内外で「小さな巨人」と称されていた。

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田中 史朗

FUMIAKI TANAKA

Profile


1985年1月3日生まれ。京都府出身のラグビー選手。小学校高学年でラグビーを始め、伏見工業高校を経て、京都産業大学へ進学。大学時代にはラグビーの本場、ニュージーランドに留学。2007年に三洋電機(現パナソニック)に加入すると、1年目からレギュラーを獲得し、トップリーグ新人賞に輝く。2013年には日本人として初となる、南半球の世界最高峰リーグ「スーパーラグビー」でプレー。2008年に日本代表初選出。以降、2011年、2015年のワールドカップに出場。優れた判断力と正確なパスに定評がある。