CROSSOVER BOOK | SEP 2024

心を動かすスポーツ SportsDocument CROSSOVER BOOK025

水谷隼

空白の2ヶ月[卓球元日本代表]

アスリート人生に壁が立ち塞がったならば。それは自分が成長するチャンスが訪れたと言うことだ。

CROSSOVER BOOK025

水谷 隼

JUN MIZUTANI

Special Interview


大きな挫折を経て、更なる成功を掴んだ水谷隼さん。
その中で生まれた葛藤や再生へのプロセスを紐解きます。

CROSSOVER BOOK024

Special Interview JUN MIZUTANI

2012年ロンドンオリンピックから数カ月後……。
そのロンドンで不本意な結果とはいえ、
シングルスベスト16に入った日本のエース・水谷隼は、卓球台の前で呆然と立ち尽くした。

数十年に一人の天才と呼ばれた彼から、天性の柔らかいボールタッチや破壊力のある攻撃、
そして老獪とも言える巧みな試合運び、そのすべてが失われていたのだ。

「もしかして俺、終わっちゃったのかな?」

まだ23歳。
次のリオオリンピックはもちろん、
その次の東京まで十分に戦えるはずの水谷に、いったい何が起こったのだろうか?

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Special Interview JUN MIZUTANI

「あのときが間違いなく
卓球人生最大のピンチ、壁でした」


ロンドンオリンピック後、水谷はラバー補助剤の問題を告発(※2008年、国際卓球連盟が人体に悪影響があるとして禁止したはずのラバー補助剤が、公然の秘密として蔓延していた問題)し、卓球界に一石を投じた。この間の2カ月、彼は国際大会を始めすべての試合出場をボイコット。ある意味、強制的な休養期間を取ることになった。卓球人生で初めて過ごす、ラケットを握らない日々。水谷は運転免許証を山形での合宿で取得するなど、努めて卓球から離れた。

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Special Interview JUN MIZUTANI

「(ラバー補助剤の)わずらわしいこともありましたが、免許を取ったりゲームに熱中したり、今までやりたくてもやれなかったことを経験して、リラックスもできたつもりだったんです」ところが2カ月後、卓球台に戻ると件の事態に陥っていた。「それまで、何も考えなくてもできていたことが、まったくできないんです。当たり前にやっていたことだから、できない理由も分からない。パニックでした」ピアニストやバイオリニストが1日練習を休むと、それを取り戻すのに数倍の時間を要するという。水谷もまた、同じ状況だったのだろうか?だとすれば、

2カ月のブランクを埋めるのには、
途方もない時間が必要となる。


だがこのとき、水谷の胸中を支配したのは、たったひとつのことだった。

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Special Interview JuN MIZUTANI

『これで終わりたくない』

オリンピックでメダルを取るために、世界の第一線で戦ってきた。その強烈なまでのプライドが、水谷を奮い立たせる。自費でドイツ人のパーソナルコーチを迎えると、以前の感覚を取り戻すための練習に明け暮れた。そして、本調子にはまだほど遠い中、ロシアのプロリーグに参加する機会を得る。「結果的に、これが僕にとっての特効薬になりました」世界のレベルの高い環境に身を置くことが強い刺激となり、水谷の天性の感覚が呼び覚まされたのである。

水谷は再び、
世界の頂を目指して進み始めた。


その後の彼の躍進は周知の事実だ。リオオリンピックでは日本卓球史上初となる、シングル銅メダルを獲得。男子団体でも銀メダルに輝いた。そして東京オリンピックでは、視力障害の『ビジュアルスノー症候群』に苦しめられながらも、豊富な経験と積み上げた才を結集し、男子団体で銅、混合ダブルスでは伊藤美誠とのペアで、悲願の金メダルを獲得したのだ。

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Special Interview JUN MIZUTANI

往々にしてアスリートは、
レベルの高い新鮮な環境に身を置くことで、
眠っていた潜在能力が引き出されることがある。


MLBでの日本人選手の活躍、日本人女子プロゴルファーのメジャー制覇、
そして卓球界における水谷隼。
彼ら彼女らがそれを実証している。

空白の2ヵ月を克服した水谷は、国内外のタイトルを次々と手中に収め、
9年後の東京オリンピックでの金メダルを置き土産に、現役を退いた。

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水谷 隼

JUN MIZUTANI

Profile


1989年6月9日生まれ。静岡県磐田市出身。元プロ卓球選手。両親の影響で5歳から卓球を始める。天性のボールセンスで注目を集め、中学2年時よりドイツ・ブンデスリーガに卓球留学し才能を磨く。2007年当時史上最年少の17歳で、全日本卓球選手権優勝。2019年同大会において、前人未到の通算10回目の優勝を果たす。2008年から4大会連続オリンピック出場。2016年リオデジャネイロオリンピックでは、男子団体銀メダル、男女を通じて日本人初となるシングルスで銅メダルを獲得。2021年東京オリンピックでは、混合ダブルスで日本卓球史上初の金メダルに輝く。また男子団体では銅メダルを獲得し、2大会連続のメダル獲得となった。同年に現役を引退。現在はタレント、スポーツキャスター、卓球解説など多方面で活動中。講演活動にも力を入れており、卓球だけでなくスポーツ全体の普及・振興のため、全国各地で講演会、イベントなどに精力的に取り組んでいる。