CROSSOVER BOOK | NOV 2024

心を動かすスポーツ SportsDocument CROSSOVER BOOK027

井川慶

極めの先にあるもの[元阪神タイガース投手]

アスリート人生に壁が立ち塞がったならば。それは自分が成長するチャンスが訪れたと言うことだ。

CROSSOVER BOOK027

井川 慶

KEI IGAWA

Special Interview


井川さんが極めの先に見つけたものとは。
野球人生最大の壁が立ち塞がった時、いかに向き合い、乗り越えたのか、
今まで語らなかった心の内側に迫ります。

CROSSOVER BOOK024

Special Interview RYOSUKE IRIE

阪神タイガース2軍の拠点、鳴尾浜球場。

1997年度ドラフト2位の高卒ルーキーが、
痛む左肩に手を当てながら、仲間たちの練習をぼんやり見ていた。

「こんなはずじゃなかった……」

高校左腕三羽烏の一人・井川慶は、
練習すらままならない現状に絶望する。

それが、
後の日本球界を代表する左腕の前に立ち塞がった、
野球人生最大の壁だった。

CROSSOVER BOOK027

Special Interview KEI IGAWA

そもそも水戸商業高校時代の井川はケガが多く、甲子園の土を踏んだこともなかった。しかもドラフトを前に、すでに左肩を痛めていたのだ。それにも関わらず、阪神から2位指名。秘めたるポテンシャルの高さがうかがい知れる。そして井川本人も、少々高をくくっていたかもしれない。

『肩の痛みさえ治まれば、自分はプロで戦える』

だが、そのときは一向に訪れない。まだ大人になりきれていない彼の心は、

次第に追い詰められていった……。

CROSSOVER BOOK027

Special Interview KEI IGAWA

そんな井川が再び前を向くきっかけとなったのは、ドラフト同期で同い歳の、奥村武博投手の一軍昇格だった。彼の指名順位は6位。井川のほうが期待値は高かったはず。

「先を越されて悔しいというよりも、
自分の現状が歯がゆくて。
それで火がついた感じです」


そしてチームもまた、井川を諦めてはいなかった。当時、コンディショニング担当のトレーニングコーチを務めていた石原真司氏(現・慎二)、トレーナーの添田隆也氏(故人)らが、井川の救出に乗り出したのである。井川慶という男は、何事も、それが単なる趣味であっても、興味を持ったことは極めなくては気が済まない。野球、ピッチングはその最たるものだった。

CROSSOVER BOOK027

Special Interview JuN MIZUTANI

問題の左肩痛は、これまで治りかけてはまた痛めるの繰り返し。対症療法に限界を感じた井川たちは、肩痛の原因から見直していく。判明したのは下半身の弱さからくる、肩に負担がかかるピッチングフォームだった。チーム井川(石原トレーニングコーチ、添田トレーナー)は内転筋を鍛え、股関節の可動域を広げることから着手し、辛抱強くニューフォーム構築に励んでいく。

「結局、まだプロ野球選手の体になっていなかったんです。少しずつ肩の痛みが消えて、自分の体とピッチングが変わっていくのが分かりました」

石原トレーニングコーチも、そんな真摯に取り組む井川がかわいくて仕方ない。「あの才能を埋もれさせちゃいけない、そんな使命感に駆られていたと思います」

弛まぬトレーニングの甲斐あって、
少しずつ登板機会を得ていく井川。

その登板では辛酸をなめることもあったが、1999年に一軍での初勝利を揚げると、2001年には先発ローテーション入りを果たすのである。この間、井川のボールを受け続けてきたドラフト同期の中谷仁捕手は当時、こう証言している。「下半身が大きく強靭になっていて、何よりボールの回転や威力が入団当時とは比べ物にならないほど増しています」

以降の井川は、2003年にセ・リーグ最後の20勝投手(2024年現在)を始めに、

数々の輝かしい戦績を残していく。

左肩痛を治すためのトレーニングが、結果、日本球界NO.1左腕を作り上げた。

CROSSOVER BOOK027

Special Interview KEI IGAWA

アスリートは、その探求心の深さによって、
劇的な変化を呼び起こすことがある。

そして真摯な取り組みの下には、
支えの手が集まるのだ。


ケガを抱え、明日をも知れなかったルーキーは、
大好きな野球、そしてピッチングを真摯に極め、

45歳の今も
野球人としての火を灯している。

CROSSOVER BOOK027

井川 慶

KEI IGAWA

Profile


1979年7月13日生まれ。茨城県出身。1998年、ドラフト2位で阪神タイガースに入団。2005年にはMVP、沢村賞、最優秀防御率、最多勝、ベストナインの5冠を達成し、リーグ優勝に貢献。2006年シーズンオフにポスティング制度を利用してMLBニューヨーク・ヤンキースに入団。2012年にオリックス・バファローズに入団して日本球界復帰。 2015年にオリックスから戦力外通告を受け2016年から独立リーグ兵庫ブルーサンダーズと契約。