CROSSOVER BOOK | NOV 2024

心を動かすスポーツ SportsDocument CROSSOVER BOOK029

内村航平

天才の死角[体操元日本代表]

アスリート人生に壁が立ち塞がったならば。それは自分が成長するチャンスが訪れたと言うことだ。

CROSSOVER BOOK029

内村 航平

KOHEI UCHIMURA

Special Interview


まさかの代表落選。誰もが天才と認める内村航平さんの身に起こった挫折。
その裏側に隠された再起へのストーリーに迫ります。

CROSSOVER BOOK024

Special Interview KOHEI UCHIMURA


2007年、日本体操協会は世界選手権派遣の日本代表選手を発表する。

そこに前年、高校3年生17歳でナショナルチーム入りを果たした、
後の絶対的世界王者・内村航平の名はなかった。


「ありえない……」

世界のひのき舞台で、自分が目指す[美しい体操]を披露したい。
それだけしか頭にない内村は、代表落選に愕然とする。

自分の何が悪かったのか?
足りなかったのか?
考える余裕もなく、思考が停止した。

CROSSOVER BOOK029

Special Interview KOHEI UCHIMURA

内村航平という男は、よくも悪くも頑固な気質を持っている。体操を始めた幼いころから、

自分がやりたい、
やるべきだと思ったことしか
実行しなかった。


大人たちから何をいわれようともだ。「練習自体は嫌いでしたね。自分が目指す技を成功させるために、仕方なくやっていた感じです。逆に、これをすれば、あの技が出来るようになると分かれば、とことんやっていたと思います」先輩メダリスト・塚原直也の[美しい体操]に憧れ、単身長崎から上京したときも、名門・日本体育大学体操競技部の一員となっても、内村の体操への取り組み方は一貫して変わらない。

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Special Interview KOHEI UCHIMURA

だからなのだろうか?彼は小中高を通して、一つひとつの技に切れ味を見せたものの、全国的に頭抜けた存在ではなかった。だが、代表落ちからも分かるように、そんな内村のスタンスに限界が訪れていることは、誰の目にも明らかだった。

では、いったい何が内村の心を変え、
壁を突き破るきっかけと
なったのだろうか?


それは、名門・日本体育大学体操競技部の指導陣の存在にあった。当時の監督は具志堅幸司氏。1984年ロサンゼルスオリンピックの個人総合金メダリストであり、エースとして長く日本代表チームを牽引したレジェンドである。

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Special Interview KOHEI UCHIMURA

そして、直属のコーチは畠田好章氏。1992年バルセロナオリンピックや、1995年世界選手権 のメダリストであり、女子日本代表チームで活躍した畠田姉妹の父でもある彼は、現在の体操競 技部監督を務めている。彼らは内村の代表落ちの理由を理解していた。


『なぜ本気でやらないんだ!』

あるとき、具志堅監督や畠田コーチは内村を叱咤(しった)する。「いくつもの技を組み合わせて、一つの演技として昇華させるには[通し練習]を繰り返すことが一番効果的なんですが、内村はそれをやりたがらなかったんです」畠田現監督は当時を振り返って語る。[通し練習]とは、本番さながらに手を揚げ開始の合図をしてから、着地を決めて演技を終えるまでを実践する練習だ。技と技のつなぎはもちろん、演技全体をトータルコーディネートして高得点を導き出してくれるのだが、同時にこの[通し練習]は、地味で時間を要する面倒でもあった。

「そんなの本番でやればいいじゃん、
程度に思ってました」


「それよりも僕は技を磨きたかったんです。だいたい本気ってなんだよって」だが、その[本気]には、本気で日本代表を目指すなら、本気で世界の頂点に立ちたいなら、という意味も込められていたことを理解すると、内村の心に変化が訪れる。重い腰を上げ[通し練習]に身を入れ始めると、持ち前の天才と合わさって、すぐに成果が現れる。翌2008年、全日本選手権個人総合で初優勝(以後10連覇)を果たすと、日本代表として出場した北京オリンピックでは、団体、個人総合で銀メダルを獲得。

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Special Interview KOHEI UCHIMURA

その後の[絶対的世界王者]としての活躍は、
今さら述べるまでもないだろう。

「あの叱咤がなければ、オリンピックの連覇も
世界選手権の6連覇も成し遂げられずに終わっていたでしょうね。
それだけはハッキリしてます」

アスリートの飛躍に必要なのは、
はっきりとした目的意識と、
それを実現させるための努力を
惜しまないことだ。


内村航平は、あのときの『本気でやれ』の言葉に感謝を忘れず、
それは彼の中の[仲間意識]を目覚めさせた。
内村は輝かしい個人種目の成果の裏で、
常に団体総合の成績にも強いこだわりを持っていたという。

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内村 航平

KOHEI UCHIMURA

Profile


1989年1月3日生まれ、長崎県出身。3歳で体操を始め、日本体育大学などで練習を積む。優れた 空中感覚を持ち味に力をつけ、19歳で北京オリンピック代表に選出され、団体と個人総合で銀メ ダルを獲得。その後、着地の正確さと6種目すべてで難度が高い技を美しくこなす世界最高のオー ルラウンダーに成長。オリンピック4大会(2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャ ネイロ、2020年東京)に出場し、個人総合2連覇を含む7つのメダル(金メダル3、銀メダル4)を 獲得。また、世界体操競技選手権でも個人総合での世界最多の6連覇を含む21個のメダル(金メダ ル10、銀メダル6、銅メダル5)を獲得している。国内大会ではNHK杯個人総合10連覇、全日本 選手権個人総合でも10連覇を達成。