


本橋 麻里
MARI MOTOHASHI
Special Interview
順風満帆に思えたアスリート人生に立ちはだかった世界との壁。
本橋麻里さんは、その壁と如何に向き合ったのか。彼女の内側に迫ります。

2010年バンクーバーオリンピック(冬季)。
カーリング女子決勝はスウェーデンが快勝し、連覇を飾った。
金メダルを誇らしげに観客へ示す、スウェーデン代表チームの面々。
その一部始終を現場で目撃していたのが日本代表チームのメンバーであり、
マリリンの通称で人気を集める、本橋麻里だった。
日本はこの大会、8位。2大会連続の入賞を果たしている。
だが、
本橋の表情は暗澹としていた。
「どうすれば彼女たち(スウェーデンチーム)に勝てるのか、
想像もつきませんでした」
金メダルと8位。
その差は果てしないものに
思われたのだ。
今のままでは世界一どころか、メダルにすら手が届かない。本橋は未だか
つてない挫折感に襲われる。届かない夢に挑み続ける意味、競技を続ける
意味。競技者としてのすべてを見失いかけていた。
12歳でカーリングに出会った本橋は、生まれ故郷の北海道北見市(旧・常呂町)を拠点に、ジュニアのころからすでに頭角を現していた。2004年2月、17歳で出場した日本選手権で3位。4月の世界選手権では7位に入り、彼女は照準を世界に合わせていく。
2005年、欠員のできた[チーム青森]に加入すると、オリンピックの日本代表予選では主力メンバーに抜擢され、チームの出場権獲得に貢献。そして、2006年トリノオリンピックでは当時の日本女子最高位、7位入賞を果たす。日本では[マリリンブーム]が起こり、一躍時の人となったのだ。
「当然、次はメダル、
そう思っていました」
だが、国内では無敵を誇る[チーム青森]でも、世界の壁は厚かった。満を持して臨んだはずの2010年バンクーバーオリンピックでは、前大会から順位を一つ落とした8位入賞が精いそのとき、本橋は確かに挫折を味わい、競技を続ける意味すら見失いかけていた。
しかし転んでもただでは起きない性格が、
心まで折れることを拒絶する。
「日本の強化方針や、方法を変えるタイミングがきたんだと感じました」バンクーバーオリンピック後、本橋は2014年ソチオリンピックを目指しての現役続行を発表すると同時に、ある計画に
向けて動き出す。「当時、拠点を置いていた青森市の、スポーツ振興による地域活性化の方針が私の中で大きなヒントになって、夢がどんどん膨らんでいったんです。気づいたら、落ち込んでいる暇はなくなっていました」この年8月に、本橋は[チーム青森]からの独立を決意する。そして故郷・北見市(旧・常呂町)で[ロコ・ソラーレ]を結成。彼女は理想のチーム作りに、自身のカーリング人生を懸けた。「できる範囲の目標(直近の成果)ではなくて、最終的に成し遂げたい目標を掲げ、その目標に向けて仲間を集めて、(地域一体型の)環境を味方にし、全力で進んでいく。それが自分のチームを持つことで可能になったんです」
オリンピックメダリスト。
もちろんその目標は、
一朝一夕に成し遂げられるものではない。
事実、4年後のソチオリンピックは出場権の獲得すらできなかった。だが、同じ目標を持ち、同じ方向を見る仲間たちの絆は、日を追うごと、年を追うごとに深く強くなっていく。そんな本橋たちを北見市の人々は、まるで自分の子であるかのように、その成長を見守ってくれた。

長期的目標を掲げたアスリートが、
能動的に自身の競技環境を作り上げたとき、
そこには劇的な進化を呼ぶ可能性が秘められている。
2018年平昌オリンピック。
本橋麻里率いる日本代表チーム[ロコ・ソラーレ]は、
苦楽を共にしてきた藤澤五月、吉田知那美、吉田夕梨花、鈴木夕湖を擁し、
イギリスとの3位決定戦に臨んだ。そして……。
世界のトップチームとして、堂々と強豪各国と渡り合ってきた彼女たちに銅メダルがもたらされる。
本橋は両手で顔を覆い、涙を隠す。正確にいえば隠しきれなかった。
チーム全員でのインタビュー。もはや号泣する本橋。
メンバーは尊敬して止まない、大好きな[マリちゃん]を抱きしめた。
本橋 麻里
MARI MOTOHASHI
Profile
1986年6月10日生まれ、北海道北見市出身。12歳の時にカーリングを始める。2006年に「チーム 青森」のメンバーとしてトリノ五輪に初出場し、7位となり注目を浴びる。2010年のバンクーバ ー五輪でも8位となり、2大会連続入賞を果たす。同年8月、出身地の北見市で新チーム「ロコ ・ソラーレ」を結成。2016年3月の世界選手権にて銀メダルを獲得するなど、チームとして成長。 2018年2月の平昌オリンピックでは、日本カーリング史上初の表彰台である銅メダルを獲得し脚 光を浴びた。また、選手たちを牽引する姿勢やリーダーシップが注目を集めた。同年夏に一般社 団法人ロコ・ソラーレを設立。代表理事として現在では女子のセカンドチーム「ロコ・ステラ」、 男子チーム「ロコ・ドラーゴ」の3チームの運営を行い、法人を支えている。