


岩渕 真奈
MANA IWABUCHI
Special Interview
天才と呼ばれ、意気揚々と踏み入れた超名門のグランド。
そんな岩渕真奈さんの目の間には、予想もしなかった絶望の壁が待っていた。

『ヤバいかも……』
中学進学と同時に、
超名門女子サッカージュニアクラブ『日テレ メニーナ』のセレクションを突破し、
入団を果たした天才少女・岩渕真奈。
意気揚々と足を踏み入れた練習初日、彼女の口からその言葉が漏れた。
これまでに感じたことのない恐れに、12歳の少女は委縮してしまったのだ。
それが後の「なでしこジャパン」の点取り屋、
ドリブルマスターの名をほしいままにした岩渕真奈がぶち当たる、
巨大な壁だった。
前述のとおりメニーナは厳正なセレクションの下、中学1年生から高校3年生までの将来有望な選手だけを集めるジュニアクラブだ。そのトップチームは、なでしこリーグ(現在のWeリーグ)の強豪・ベレーザ。選手層の厚さは当時「なでしこジャパン=ベレーザ」といわれたほどだ。一方、岩渕は小学2年生から、兄の良太(プロサッカー選手)が所属する少年サッカーチーム・関前SCの紅一点として頭角を現していた。彼女の存在の大きさは、それまでの「関前少年サッカークラ」]の名が「関前サッカークラブ」に変更され、女子プレーヤーを増やしていったことからも明らかだ。
男子選手と遜色ないプレーでピッチを駆け回る少女が、より高いレベルの居場所を求めてメニーナの門をたたいたのは、
ある意味必然だったはず。
だが……。
現役時代も周りの選手に比べて小柄だった岩渕。早生まれも手伝い、中学1年生のころはなおさらその小ささが際立っていた。そこにきて同じ中学生はともかく、高校生のチームメイトたちは体格的に遥か[大人]だったのである。「ボールも中学生からは規格が大きく、重くなったこともあって、同じフィールドでやれるのかなって不安になりました」それでも、もし不安の種がこれだけだったら、人一倍負けず嫌いの岩渕は時間の問題で乗り越えたに違いない。
ところが、
彼女の視界に
さらなる巨大な壁が映ったのだ。
「同じグラウンドで、ベレーザの姉さんたちも練習するんですよ」岩渕のメニーナ入団当時、トップチームのベレーザには澤穂希、大野忍、岩清水梓など、そうそうたる顔ぶれがそろっていた。いずれも「なでしこジャパン」のスター選手たちだ。(※ただし、岩清水梓の代表入りは2006年から)。「見るだけで、自分との差があからさまなのが分かっちゃって……。とんでもないところにきちゃったなって、正直思いました」早生まれのため、まだ12歳になったばかりの岩渕は思考が停止した。
では、結果的になぜ、
岩渕は絶望の壁を乗り越えることが
できたのだろうか?
「雲の上の人たちだけど、憧れの人たちでもあったんですよ。その人たちと一緒にサッカーしたいじゃないですか」
恐れや絶望よりも、
憧れが勝ってしまったのだ。
なでしこジャパンへの思いも、このころから芽生えていたという。代表チームで憧れの人たちと一緒に、世界を相手に戦う―進むべき道筋が、岩渕の目にはっきり映っていた。すぐに彼女は、メニーナの中で猛練習を開始。チーム練習は17時半から。彼女は1分でも早くグラウンドに姿を見せ、自主練に大粒の汗を流し続けた。サッカー漬けの日々に小柄な体は鍛え抜かれ、1年がたつころには、高校生に混じっても当たり負けしない筋金入りとなった。

時にアスリートにとって、
目標とする(憧れの)人に近づきたいという思いは、
自分が何をすべきかを明確にしてくれる。
岩渕は2007年、14歳(中学3年)でトップチームのベレーザに二重登録され、
なでしこリーグの舞台で躍動すると、U-17、U-20の日本代表を経て、
2010年に念願のなでしこジャパン入りを果たす。
そして2011年、18歳で迎えたワールドカップでは、
憧れの澤穂希や大野忍、岩清水梓と共に、優勝メンバーにその名を連ねたのである。
岩渕 真奈
MANA IWABUCHI
Profile
1993年3月18日生まれ、東京都出身。小学2年生のときに関前SCでサッカーを始め、クラブ初の女子選手となる。中学進学時に日テレ・メニーナ入団、14歳でトップチームの日テレ・ベレーザに2種登録され、08年に昇格。12年よりドイツ・女子ブンデスリーガのホッフェンハイムへ移籍し、14年にバイエルン・ミュンヘンへ移籍、リーグ2連覇を達成。17年に帰国しINAC神戸レオネッサへ入団。2021年よりイングランドのアストン・ヴィラLFCへ移籍。21-22シーズンからアーセナル・ウィメンFCでプレー。2023年9月8日、現役引退を発表。日本代表では、08年FIFA U‐17女子ワールドカップでゴールデンボールを受賞、世間からの注目を集めるようになる。以降、11年女子ワールドカップ優勝、12年ロンドンオリンピック準優勝、15年ワールドカップ準優勝、19年ワールドカップ・ベスト16に貢献。