CROSSOVER BOOK | SEP 2022

心を動かすスポーツ SportsDocument CROSSOVER BOOK003

村上茉愛

自粛と言う名の引退勧告[体操元日本代表]

アスリート人生に壁が立ち塞がったならば。それは自分が成長するチャンスが訪れたと言うことだ。

CROSSOVER BOOK004

村上 茉愛

MAI MURAKAMI

Special Interview


東京オリンピック、女子体操<ゆか>の銅メダリスト・村上茉愛。
志半ばでの引退から救ってくれたのは、心に火をつけてくれる人の存在、そして強い目的意識。
幾度となく揺らぐことがあっても、彼女は立ち上がる。

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Special Interview MAI MURAKAMI

「無になっている自分がいて・・。
これはもう止めろ、
引退しろってことなのかと・・」


東京オリンピック、女子体操<ゆか>の銅メダリスト・村上茉愛。
これは彼女に《アスリート人生に立ちはだかった壁》について尋ねた時の言葉だ。
あの頃、東京オリンピックでメダルを期待されていた彼女に、何が起こったのだろうか?

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Special Interview MAI MURAKAMI

日本女子体操界初のオリンピックメダリストには、思えばそのアスリート人生に、幾つもの壁が立ちはだかって来た。中学生で全日本選手権の<ゆか>で優勝を飾り、期待の星と持て囃された村上。しかし高校生になってからは、ストイックな生活へのストレスが爆発し、すべてが投げやりになってしまった時期がある。この時は、最大のライバルであり、親友でもある寺本明日香の存在が、村上を体操の世界に引き留めてくれた。

『まだ自分はこれからの人間。
彼女と一緒に世界で戦いたい』


その後、日本体育大学へ進学し、新たな指導者に恵まれたこともあり、村上は再び輝きを放っていく。

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Special Interview MAI MURAKAMI

2019年に立ちはだかった壁は、さらに深刻だった。持病ともいえる腰のケガが悪化し、動くことすらできなくなってしまったのだ。世界選手権の代表を争う大会にも出場できず、翌年に迫った東京オリンピック(当時)にも黄色信号が灯った。一時期は寮の一人部屋で、泣きながら横になっていたという。だが、この一人部屋であることが、彼女に幸いする。いたずらに慰められることもなく、村上は冷静な思考を取り戻すことができたのだ。ケガは初めてじゃない。こんなことは何度も経験してきた。だから分かる。

「治療すれば回復するんですよ。
当たり前のことを言ってますけど」


深刻な大ケガも、彼女の心を芯から挫くことはなかった。

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Special Interview MAI MURAKAMI

そして、村上茉愛、アスリート人生最大の壁は、ケガが癒えた2020年、まったくの不可抗力の形で現れる。東京オリンピックの代表選考を兼ねた全日本選手権、NHK杯を控え、村上はこれから訪れる自分の未来に期待していた。だが承知の通り、世界中を巻き込んだコロナウイルスの渦が、彼女の運命を狂わせる。予定されていた大会はすべて中止、選手個々も自粛生活を余儀なくされてしまったのだ。さらに、東京オリンピックは一年延期が決定する。

「目標としていたものが、
すべて目の前から消えたんです」

延期になったオリンピックを迎える頃には、村上は25歳。女子体操選手としては大ベテランの域で、コンディションを保つことが難しくなる年齢だ。何より彼女自身がそれを痛感していた。それ故に、冒頭の言葉の感情が、彼女の脳裏を過ぎったのだ。

「無になっている自分がいて……。
これはもう止めろ、
引退しろってことなのかと……」

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Special Interview MAI MURAKAMI

アスリートは、一流になればなるほど、モチベーションを保つのが難しくなる。すでに多くのものを手に入れ、そのために要する苦労を知っているからだ。東京オリンピックを前に、現役引退……。村上は本気だった。だが、心のどこかで誰かに引き留められることも願っていた。そんな時、相談したのは母・英子さん。引退の意志を報告する裏で、村上は予想する。『やめないで』そう言われることを。ところが、母の言葉は意外なものだった。

「やめてもいいよ」

もう充分がんばってきたのだから、これ以上苦しむことはない。これからは自分の意志でやりたいことをやってほしい。母は優しくそう告げた。自分の意志でやりたいこと……、村上はハッと気づかされる。それは東京オリンピックでメダルを獲ることに他ならなかったからだ。いつの間にか、村上の眼前に立ちはだかっていた厚い壁は、消え失せていた。村上茉愛を、志半ばでの引退から救ってくれたのは、自分の心に火をつけてくれる人の存在、そして強い目的意識。途中揺らぐことがあったとしても、それさえあれば、トップアスリートならば何度だって立ち上がる!

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村上 茉愛

MAi MURAKAMI

Profile


1996年8月5日生まれ、出身神奈川県相模原市出身。
幼少期から池谷幸雄体操倶楽部に所属し、2015年に日本体育大学に入学。
世界選手権代表として団体5位入賞。五輪団体出場権獲得に貢献。個人総合6位入賞。
2016年の全日本選手権個人総合で初優勝。リオデジャネイロ五輪団体総合で4位入賞。
翌年の全日本選手権個人総合で連覇、NHK杯個人総合でも初優勝。
世界選手権の種目別女子ゆかで、日本女子としては63年ぶりの金メダル獲得。
主将として臨んだ2018年は、ワールドカップ東京大会優勝、全日本選手権個人総合3連覇、
NHK杯個人総合2連覇を達成。世界選手権では個人総合で日本女子初の銀メダル獲得。
2021年の全日本体操個人総合選手権とNHK杯でも連続優勝し、東京五輪代表の座を獲得。
個人総合で日本人歴代最高順位の5位入賞、個人種目別ゆかで日本女子史上初の銅メダル獲得。
世界選手権の種目別女子ゆかで4年ぶり2度目となる金メダル獲得し、有終の美を飾って現役引退。
引退後は母校日本体育大学のコーチとして、次世代を担う後進の育成に励んでいる。