CROSSOVER BOOK | SEP 2026

心を動かすスポーツ SportsDocument CROSSOVER BOOK040

中村俊輔

失敗は成功へのバネ[サッカー元日本代表]

アスリート人生に壁が立ち塞がったならば、それは自分が成長するチャンスが訪れたということだ。

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中村 俊輔

SHUNSUKE NAKAMURA

Special Interview


「フリーキックの魔術師」「黄金の左足」。いくつものニックネームとは裏腹に、そのサッカー人生は周りからみると波乱万丈だった。しかし、中学3年生で経験した挫折が、彼の心をしっかり支え、解決方法を知っていた。考えるべきことは一つ、「ならばどうすればいい?」。

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Special Interview SHUNSUKE NAKAMURA

2002年5月、その衝撃の発表に、
日本中のサッカーファンが耳を疑った。

【中村俊輔 W杯日韓大会代表メンバー選外】

2月には日本代表オフィシャルユニフォームの広告に起用されていた中村にとって、
青天の霹靂。彼の心中を案ずる声と、選者たちへの非難の声が渦巻いた。

だが……。

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Special Interview SHUNSUKE NAKAMURA

「コンディションもよくなかったし、当時の代表で求められた役割(ポジション)も違うなと思っていたので、割とあっさり仕方ないなと。むしろ解放された気分だったかな」

中村のサッカー人生最大の挫折と思う者は多かっただろう。しかし現実は違う。

「やっぱり、
あの挫折を乗り越えた経験が、
僕の対応力を育んだんでしょうね」


本当のサッカー人生最大の壁。それが立ちはだかったのは、15歳のころにまで遡る。中村は幼少期からサッカーの才に恵まれ、挫折を知らないエリートプレーヤーだった。

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Special Interview SHUNSUKE NAKAMURA

中学に入るころには、日産(現 横浜Fマリノス)ジュニアユースのセレクションに合格。50倍の狭き門を突破した彼は、一途に上達を求めて練習に明け暮れる。ちなみにこのころ、日産に所属していた日本代表チームの顔である木村和司のフリーキックの練習を目の当たりにしたことが、後に中村を[フリーキックの魔術師]へと導いている。このジュニアユース時代にも、中村は中心選手の一人としてチームの2度の全国制覇に貢献。プロ選手になるため、次なるステップを見据え始める。

「前の年にJリーグができて、プロになれるかもしれない、なりたいって思うようになって、そのためには取りあえずユースへの昇格だなと」

マリノスのユースチームで、プロになるための研鑽を積む。中村の青写真は明確だった。

ところが……。

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Special Interview SHUNSUKE NAKAMURA

「カテゴリーが上のユースに
行けなかったことは、
大きなターニングポイントでした」


これまでは何らかのセレクションがあれば合格し、選抜チームが組まれればその中の一人に選ばれてきた。だからユースに進めなかったことは、中村にとって初めての経験であり、サッカー人生最大の壁が立ち塞がる瞬間だった。


「最悪です。初めて道が閉ざされて、
夢が終わったなって」


自分を否定されたような感覚に、中村は戸惑い、ヒザをついた……。「でもサッカーを嫌いになるとか、止めるとかの選択肢はなかったですね」

中学3年の夏に訪れた悲劇。さすがに、すぐにすべてを飲み込めるほどのメンタルは持ち合わせていなかった。だが、サッカー人生を終わらせるつもりもなかった中村は、考え始める。『ならばどうすればいい?』

幸いにも、神奈川のサッカー強豪校・桐光学園に活路を見出すことができた。「入学までの半年間、ひたすら自主練の方法を探りながら、備えに入っていました」

メンタル的にもがいた期間、それは自分を客観的に見つめ直す時間でもあった。「なぜユースに行けなかったかを冷静に考え直して、反省して、改善する。そういう力が養われた気がします」

桐光学園に入学してからも、チャンスは平等のクラブチームとは違い、1年生はボールに触ることもままならなかったが、中村は腐ることなく準備に没頭する。

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Special Interview SHUNSUKE NAKAMURA

「今度はどうすれば試合に出られるか、その試合でどうすれば活躍できるかを逆算して、
空き時間を探して自主練。反省と改善、その繰り返しでした」

それは2年生でレギュラーを掴んでからも、そしてプロ選手になってからも、
中村の核となる思考に昇華した。

「悔しさとか落胆は全部、成長するためのバネなんですよ。
だから僕は、あの挫折以降、失敗したことがないんです。ステップアップするために必要なことですから」

失敗は成功へのバネ。その思考ができるアスリートは強い。

中村にとって2002年W杯日韓大会の代表選外も、
欧州サッカーの洗礼も、そしてプロサッカー人生における幾多のピンチも、挫折とはならなかった。

「次に何をすれば、こうはならないよな。
次に何をすれば、もっとうまくやれるよな。
そんなふうに考えて、やるべきことをやっていたら、
44歳になっていましたね」


2022年10月18日、44歳3カ月と24日で引退発表するまで、
中村俊輔は反省と改善で進み続けた。
引退の理由は足首のケガによる痛み、ただそれだけだった。

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中村 俊輔

SHUNSUKE NAKAMURA

Profile


1978年6月24日生まれ、神奈川県横浜市出身。3歳でボールを蹴り始め、セレクションに合格して中学時代は日産(現横浜F・マリノス)のジュニアユースに所属。しかし、ユースには昇格できず桐光学園高校へ進学し、3年生時には全国高等学校サッカー選手権大会で準優勝を果たした。卒業後はマリノスへ加入し、後に日本代表にも選出されて活躍。2002年のワールドカップ代表には漏れたものの、同年、イタリア・セリエAのレッジーナに移籍し、2005年からはスコットランドのセルティックでプレーと、活躍の場を海外に移した。その後、スペインのエスパニョールを経て2010年、マリノスに復帰。ジュビロ磐田、横浜FCと渡り歩き、2022年のシーズンをもって現役生活にピリオドをうった。