CROSSOVER BOOK | NOV 2022

心を動かすスポーツ SportsDocument CROSSOVER BOOK007

三宅宏実

想定外の魔の一球[元プロ野球選手]

アスリート人生に壁が立ち塞がったならば。それは自分が成長するチャンスが訪れたと言うことだ。

CROSSOVER BOOK007

三宅 宏実

HIROMI MIYAKE

Special Interview


どんなに才能に満ちあふれていても、
確たる自己を持たないアスリートに、栄光への道は開かれない。
敗北感に打ちのめされることで、自立へのきっかけを掴んだ三宅宏実さんの座右の銘とは。

CROSSOVER BOOK007

Special Interview HIROMI MIYAKE

2008年北京オリンピック、ウエイトリフティング女子48㎏級。
父・義行さん(1968年メキシコオリンピック銅メダリスト)との
親子メダリストを期待されていた長女・宏実。

だが、メダルを賭けた試技で、あえなくバーベルを落とし、
結果は6位。(後に上位選手のドーピング違反で4位に繰り上げ)

「私的には惨敗でした。メダリストたちとの力の差が
途方もないように思えて……」

しかも、周囲の期待とは裏腹に、
三宅本人は最初から敗北を予感していたと言う。

「全然自己記録を
伸ばせていなかったんです。4年間も」

CROSSOVER BOOK007

Special Interview HIUROMI MIYAKE

2004年、三宅は鳴り物入りで、父・義行さんや伯父・義信さん(1964年東京、1968年メキシコ金メダリスト)の母校でもある法政大学に入学した。高校時代にはインターハイはもちろん、全日本選手権も制していただけに、周囲の期待は高まるばかり。親子、一族メダリストも夢ではない。当然、三宅自身も期待していた。事実、結果だけを見れば、入学直後の全日本選手権で連覇、あいさつ代わりに初出場した2004年アテネオリンピックで9位、2006年の世界選手権では銅メダルを獲得。翌年の同大会でも5位入賞を果たしている。

『三宅宏実に足りないのは、
オリンピックのメダルだけ』

CROSSOVER BOOK007

Special Interview HIRROMI MIYAKE

だが、メディア等の高評価を他所に、三宅はひとり焦燥感を募らせていた。股関節を負傷したこともあるが、前述の通り、記録がまったく伸びないのだ。メダルを狙える、世界のトップ選手との差は広がるばかり。試合後は、どんなに好成績でも、伸びない記録への後悔だけが募っていった。「原因は……、この時はまったく分かりませんでした。練習をサボってたわけでもなく、ただただ記録が出ないから不安になりますよね。長くて暗いトンネルを独りで歩いている気分でした」そんな中で迎えた北京オリンピック。途方もない敗北感に打ちのめされた……。
記録を伸ばせずに苦しんだ4年間の長いトンネル。その出口に、巨大で分厚い世界の壁が立ちはだかっていたのだ。


「私は、
もう誰の期待にも応えられない」

CROSSOVER BOOK007

Special Interview HIROMI MIYAKE

では、三宅宏実は、ここからの逆転劇をいかに演じたのか?きっかけは、ちょっとした幸運と気づきにあった。彼女が惨敗と語る北京オリンピックだが、結果は4位(6位からの繰り上げ)。周囲の評価は<惜敗>で、次のロンドンオリンピックこそと皆が肩を叩いてくれた。そして、あって当たり前と思っていたスタッフたちのサポートにも、思いを馳せた。

「自分のことは二の次で、
私のために献身的に働いてくれていたんだと
気づいたのです」


特に父・義行さんは、自分のすべを娘に捧げていた。「父はもちろん、支えてくれる人たちの思いに応えたいって、意識が変わりました」

その意識の変化は、練習の姿勢にも表れる。敗北した試合の映像を分析し、課題とすべきマイナス面を全て洗い出した。「ロンドンオリンピックまでに一つずつ、マイナスをプラスに転じる作業を始めました」それは三宅が自分自身を理解する作業でもあった。この過程で、体重や食事などの自己管理にも目覚めていく。「本当に恥ずかしいくらい、周りのサポートにおんぶにだっこでした。そんな子供が勝てるわけないですよね」サポートは必要不可欠だが、プラットフォーム(ウエイトリフティングのフィールド)に立つのは選手一人。北京オリンピック以前の三宅には、ひとりで戦うメンタルがなかったのだ。

CROSSOVER BOOK007

Special Interview HIROMI MIYAKE

そして、自立してからの三宅には、
ある書物からいただいた座右の銘がある。

≪一日一生≫・・・
一日を全力を出し切って準備すれば、
後悔することはない。

どんなに才能に満ちあふれていても、
確たる自己を持たないアスリートに、栄光への道は開かれない。
三宅宏実は敗北感に打ちのめされることで、自立へのきっかけを掴んだ。
2011年、自己記録を更新しての日本記録樹立。
そして2012年のロンドンオリンピックでは銀メダルを獲得し、
次のリオオリンピックでも銅メダルを手中にした。

現役引退後、指導者としての道を歩む彼女は、
今も≪一日一生≫この言葉を頼りにしている。

CROSSOVER BOOK007

三宅 宏実

HIROMI MIYAKE

Profile


1985年11月18日生まれ、埼玉県出身。
夏のオリンピックでは日本女子で最多となる5大会連続での出場を達成。
1968年のメキシコ五輪銅メダリストである父の義行さんの指導のもと中学3年で競技を開始。
持ち前のパワーに加えて圧倒的な練習量でテクニックも伸ばし、
オリンピックでは、アテネ大会9位、北京大会4位、
ロンドン大会では女子初のメダルとなる銀メダルを獲得。
更にリオデジャネイロ大会では銅メダルを獲得した。
5大会連続となる東京オリンピックへの出場を果たし、現役を引退。